2026年9月10日
20年前,自分のブログが消えるとは思っていなかった.実際にはサーバごと消えた.10年前にハードディスクを飛ばしてしまったからだ.あろうことかバックアップも取ってなかった.その10年後に戻ってきたのは,archive.org が黙って巡回し続けていたからだ.開かれた場所に置いてあったから助かった.その私が2026年,AIの学習巡回に「断る」と書いた.矛盾しているように見える.だが引いた線は「開くか閉じるか」ではなかった.自分のものか,人のものかだ.あの記録の大半は妻が書き,コメントは見知らぬ人が書いた.20年後の許諾は取れない.同意する権限が自分に無いものは差し出さない.自分が書いたものは開いてある.恐れて閉じるのでも,勢いで開くのでもない.第三の線がある.2040年,この引き方は正しかったと言えるだろうか.
2026年9月7日
技術はすごさで社会に入るのではない.あくまで稟議で入る.1995年もネットは回線速度ではなく,「取引先がメールを使い始めた」で通った.スマホも「営業が外で見られる」で通った.AIも同じだ.すごさを語る人が多いほど,稟議の言葉を書く人が足りない.3回目も勝負はそこだと思って見ている.
2026年9月6日
サウナで考えた.熱さに耐えている人と,熱さを味わっている人は,同じ室内で別のことをしている.違いは我慢ではなく,出る時間を自分で決めているかどうかだ.技術との付き合いも似ている.いつ出るかを決められる人は,恐れずに入れる.AIに必要なのは禁止ではなく,出口の設計かもしれない.
2026年9月3日
2040年から逆算すると,今の判断の行き着く先が見える.1995年に「危ないから禁止」と決めた組織と,「危ないから手順を作る」と決めた組織は,2010年に全然別の場所に立っていた.前者は恐れに怯え,後者は信頼を積んだ.AIでも同じ分岐が起きている.息子の世代はどちらの結果を受け取るのだろう.
2026年8月31日
1回目の革命で覚えているのは,工事の人が黙々とケーブルを敷いていた背中だ.「インターネットは危険」という記事が出た同じ時に,床下ではその配線が進んでいた.恐れは紙面に載り,備えは床下で進む.3回目の今,床下で何が敷かれているかを見る方が,記事の見出しを読むより正しく未来を占うと思う
2026年8月30日
サウナで考えた.水風呂の温度を毎回確かめる人は,初めての施設でも怖がらない.知っているから怖くないのではなく,確かめる手順を持っているから怖くない.AIへの恐れも同じだと思う.中身を全部理解する必要はない.自分で確かめる手順が一つあればいい.それが恐れへの備えの正体かもしれない.
2026年8月28日
息子は今,物理の教科書で30年前に確定した法則を学んでいる.一方で彼が社会に出る2040年の前提は,まだ何も確定していない.AIに何を任せ,何を任せないかは,教科書ではなくまさに今の稟議で決まっていく.息子世代が学ぶのは昔の法則で,受け取る世界は今の私たちの判断だと思っている.
2026年8月17日
SFの面白さは予言の的中ではない.外れ方にある.アシモフもクラークも計算機の小型化は当てたが,それが「全員のポケットに入って人間関係を作り変える」ことは書けなかった.技術の予想は当たる.社会の予想が外れる.AIでも同じことが起きると思って見ている.
2026年8月13日
恐れで人を動かすビジネスは昔から強い.不安を煽り,囲い込み,依存させ,支配する.即効性があるからだ.一方,信頼を積み重ねる仕組みは遅い.だが崩れない.2040年,子どもたちにどちらの社会を渡すか.技術はそのどちらの側にも使える.だから目利きが要ると思っている.
2026年8月10日
1995年,ネットは「危険な場所」と報じられた.2010年,スマホは「人間関係を壊す」と言われた.3回目の今,AIに同じ言葉が向けられている.30年見てきて分かったのは,恐れの語彙は毎回ほぼ同じだということ.そして変わったのはいつも,恐れた側ではなく社会の方だった.
2026年8月9日
サウナで考えた.恐れは煽られて増幅する.SNSはその増幅器として設計されている.水風呂に入ると分かるが,恐怖のピークは呼吸とともに通り過ぎていく.社会に流れる恐れにも,通り過ぎさせる技術が要るのだと思う.それはまだ,誰も本気で作っていない気がする.
2026年8月6日
革命の本番は,普及のおよそ10年後に来る.ネットの本番はECと検索が生活を変えた2005年以降,スマホの本番はあらゆる産業が作り替えられた2020年以降だった.ならばAIの本番は2035年頃.つまり今見えている風景で2040年を予想すると,たぶん全部外れる.
2026年8月3日
ネットは「情報」の流れを変え,スマホは「関係」の形を変えた.ではAIは何を変えるのか.私の仮説は「信頼」だ.何が本物で,誰の言葉を信じ,何を根拠に判断するか.その基準そのものが作り直しになる.3回目の革命はたぶん,過去2回よりずっと深いところに触れている.
2026年8月2日
サウナで考えた.ととのっている12分間,私は何も受信していない.通知も,ニュースも,誰かの怒りも.AIが情報を無限に生成する時代,希少なのは情報ではなく「受信しない時間」の方かもしれない.2040年,非接続はおそらく贅沢品になる.いや,もうなり始めている.
2026年7月30日
2040年の通信の価値は「速い」ではなく「電気を食わない」に移ると見ている.AIの計算需要は増え続け,どこかで必ず電力の壁に当たるからだ.逆算すると,今いちばん注視すべきは派手な半導体競争ではなく,光配線と電力インフラという地味な土台の側だと思う.
2026年7月27日
3回の革命を会社の中から見て分かったことがある.技術は「すごさ」だけでは社会に入らない.稟議が通るか,現場が回るか,事故のとき誰が責任を取るか.この地味な三つの問いを通過した技術だけが定着してきた.AIも例外ではない.今はまだ,二つ目の問いの手前にいると思う.
2026年7月26日
サウナで考えた.「ととのう」とは,自分への信頼が戻ってくる感覚に近い.外の情報を疑い続けると人は疲れ,疲れた人は誰かに判断を預けたくなる.支配はそこに入り込む.信頼を積み重ねる社会の起点は,案外,一人ひとりの身体の側にあるのかもしれない.
2026年7月25日
性能の更新より,最前線の知能が半額になったことの方がニュースだと思います.技術は「すごさ」では社会に入らない.毎日使える値段になったとき,稟議を通って現場に入る.競争の軸が性能から経済性に移ったのは,普及期の入口のサインだと見ています.
2026年7月23日
2040年,息子の世代が社会の中核になる.その頃までには「これは人間が作った」という事実に価値がつくと私は見ている.AIの生成物と人の作品が見分けられない世界では,証明こそが価値の源泉になる.逆算すると,真正性を支えるインフラが今まったく足りていない.いったい誰が作るのだろう.
2026年7月22日
メタがAIデータセンターに8兆円,当初計画の5倍だという.報道は金額の大きさを騒ぐが,本質は別にある.ネットは分散から始まりスマホで寡占に転じた.AIは最初から寡占で始まる初めての革命だ.知能へのアクセスを誰が握るか——2040年の権力の形が今決まりつつある.